人間ドック・・・回想そして感謝!!

こんにちは。NORIです。

近々、人間ドックを受けることになったため、問診票を記載することになりました。

この時期、問診票を記載するたびに”聴神経腫瘍”の手術や後遺症の辛かった日々を思い出します。

手術をしてから、かれこれ15年くらいになります。
ふっと、当時のことを思い出してインターネットで”聴神経腫瘍”を検索してみました。

なんと、毎週観ているサンデーモーニングの橋谷さんも同じ病気にかかっていたことがわかりました。
10万人に1人という病気なのに・・・いつもTVで拝見している方も同じ病気にかかっていたとはびっくりです。
ブログを読ませて頂くと腫瘍を切除した私と異なり、ガンマナイフで処理されたようです。

当時、私も手術が簡単なガンマナイフによる手術を考えました。
しかし、腫瘍の一部が残ってしまう可能性があるため、切除を選択しました。

今回は手術そして退院するまでの出来事を書かせて頂きます。

手術開始前に保育園に入ったばかりの息子から、

『パパ、手術頑張って』という手紙をもらったことを覚えています。

手術は、8時間程かかり、朝から始まって気が付いたころには20時ほどになっていました。

 

名前を呼ばれ、目が覚めるとひどい頭痛と喉の渇き、そして足のしびれに襲われました。

何故か、水を飲もうとすると咳き込んでしまいます。

なんと手術の際に神経に触れたらしく、顔の左側がマヒしてしまったのです。

そのために物を飲み込むときに重要な役割を果たす左側の声帯もマヒ。

水も食事も喉を通らないので状態になってしまいました。もちろん、声も出せません。

術後、こんな状態が2週間以上続き、水分や栄養は点滴で補いました。
それでも喉は乾きますので、水にとろみをつけて飲んでいました。

隣の患者は同じ手術をしたにも関わらず、普通に食事をとり、あっという間に退院しました。

一方で私は、状況は変わらず、ベットで寝ている間も天井がぐるぐる回り、頻繁にひどい頭痛に襲われていました。
まったく回復の気配がないので、身の回りの世話をしてくれた妻に『退院ができるのだろうか』と弱音をはいたことを覚えています。

 

やがて、天井が回るような感覚が無くなり、車椅子で動けるようになりました。
それでも声が出ない状況が続いていましたので、屋上に上がって発生練習を行うようにしました。

その時、屋上で小児病棟で寝ている子供たちとその子らが描いた絵を目にしました。

未だ幼く、いくつかの機器をつけてベットでお母さんや看護婦と話をしています。

遠くから見ていたので、どのような絵なのかは、はっきりとわかりませんでしたが明るい色使いだったのを覚えています。

遊び盛りの時期に「かわいそうだな」という気持ちとそんなことを気にせず、明るく振舞っている子供たちを見ていて、弱気になっている自分が情けない気持ちになりました。

私は、それから同じ場所で何日も発声練習をするようになりました。

するとどうでしょう。左の声帯の動きは鈍いままでしたが右の声帯がそれをカバーするように大きく動き、声が出るようになったのです。

 

人間って本当に凄いです。心では意識していないですが”生きよう、生きよう”とするのです。
この回復に先生もびっくりしていました。
我ながらあっぱれです。・・・と言うより小児病棟の子供たちに本当に”感謝”です。

 

その後、急速に回復し、車椅子から松葉づえ、そして自分の足で歩行できるようになり、退院することができました。

 

遠方から頻繁に病院へ通い、世話をしてくれた妻、わが息子、そして度々、見舞いに来てくれた母、義父さん、義母さん・・・『ありがとう!!』。

 

人間ドック間近になると必ずと言っていいほど、辛かった日々を思い出します。
そして家族や小児病棟の子供たちに感謝の気持ちでいっぱいになります。